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要するに、最初から技術協力や事業協力をする気持ちがなかったのである。
YSTさんが作った「抵抗器」は売れず、父親から借りた運転資金もなくなった。 「計画倒産に馴された」ことに気がついたがもう遅かった。
このままでは本体の材木屋もつぶれてしまうから撤退しようと思ったが、債権者会議に出席していた銀行の支店長が、「厚膜抵抗器は将来ものになるかもしれないな。 やる気があるならお金は貸そう」と応援してくれたという。
材木会社の社長も、YSTさんがやるなら、それでいいと賛成したという。 材木会社から電子部品への業種転換はこのようにして行われた。

まったく畑違いのビジネスに乗り出したYSTさんが、最初に取り組んだのは営業だった。 朝の4時、5時に家を出発し、材木会社時代に機械設備を購入した人脈などをたどって、電機関係の会社を紹介してもらい、売り込みに走り回った。
その結果、電子オルガン、電気剃刀、ゲーム機などのメーカーがICを採用してくれて、少しずつ商品が出始めた。 試行錯誤を続けながら、大きく飛躍したのは「モジュール抵抗器」の開発の成功だった。
創業の翌年の1967年、なんとか工場が軌道に乗ってきたとき、IAM電子は「抵抗器」を一度に8個作る工法の開発に成功し、当時、爆発的に普及しつつあった「電卓」向けのモジュール抵抗器の国内市場をほぼ独占するにいたったのである。 カシオ、シャープ、キャノンといった国内の大手メーカーの電卓に大量使用されるだけではなく、最盛期には世界の電卓用のモジュール抵抗器の80%をIAM電子が押さえていたという。
日本中のメーカーが採用し、商社を通して香港、シンガポール、台湾などでも売れ始めた。 これならアメリカでも売れるのではないかとYSTさんは考えて、デュポン、コモドール、テキサスーインスツルメンツなどと話をつけるために渡米。
現地ではソニーの課長さんが通訳してくれたという。 第一次オイルショックのあった1973年のことである。
技術革新の荒波を、常に乗り越えてゆく「これからは、お宅の品物は要らなくなる」現地でさまざまな技術的難点を指摘されたが、YSTさんには自信があった。 一ヵ月後には大量の注文が舞い込んだとのことである。
中小企業が1970年代前半に、世界に販路を広げたという事例はまだそれほど多くなかったと私は記憶する。 デュポンから薬品を買っていたので、ナイアガラ爆布の近くにあるデュポン本社を表敬訪問し、そのあとソニーの関係者や商社の社長はフランスに行くというので、一人でニューヨークに戻り、アンカレッジ経由で帰国したという。

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